日朝修好条規 – 今日の語呂合わせ俳句年表

1876年、日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)を結ぶ。朝鮮を開国させる。

【暗記用俳句】 ♪二挺銃にちょうじゅう イヤなど(1876)言わさん! 修好だ

1876 日中修好条規

日朝修好条規とは?

1876年2月26日に日本と李氏朝鮮(りしちょうせん)との間で締結(ていけつ)された条約。

日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)は、1876年(明治9年)2月26日に日本と李氏朝鮮(りしちょうせん)との間で締結(ていけつ)された、日本に有利な不平等条約(ふびょうどうじょうやく)のこと。

日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)は、条約正文では「修好条規(つうしょうじょうき)」とのみ記されているが、「朝鮮國との修好条規(ちょうせんこくとのつうしょうじょうき)」、「日鮮修好条規(にっせんつうしょうじょうき)」とも呼ばれる。

欧米列強(おうべいれっきょう)の朝鮮支配(ちょうせんしはい)を恐れていた日本は、かねてから朝鮮(ちょうせん)に開国(かいこく)と国交(こっこう)を迫っていた。
が、当時の朝鮮は清国(しんこく)を宗主国(そうしゅこく)としていたため、鎖国政策(さこくせいさく)を続けており、日本の要求に応じなかった。

そこで日本は、まず清(しん)との間に1871年「日清修好条規(しっしんしゅうこうじょうき)」を結び、自らを清(しん)と同等の立場とした。
さらに、1875年に起こった江華島事件(こうかとうじけん)を利用し、朝鮮に「日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)」を結ばせた。

そしてこの、「日朝修好条規」を皮切りに、朝鮮(ちょうせん)はアメリカやフランス、ロシアと通商条約(つうしょうじょうやく)を結んでいくことになる。

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